【美術・芸術諸学】
民族音楽学
即興演奏は、社会や文化からどう影響を受けているか
谷正人先生
神戸大学
国際人間科学部 発達コミュニティ学科 ミュージックコミュニケーションプログラム(人間発達環境学研究科 人間発達専攻)
ミュージッキング 音楽は“行為”である
クリストファー・スモール、訳:野澤豊一、西島千尋(水声社)
「ミュージッキング」(音楽すること)という造語により、音楽は作品やモノではなく行為であり活動であることを主張する中で、音楽に対する(近代西洋的とされる)様々な前提を覆す良書。「限られたエリート」としての音楽家たちだけが音楽を支えているわけではないのだという観点は、そこに参加するあらゆる立場の人々が持つ意味や、音楽の身体的側面を思い起こさせ、むしろそうした「エリート」たち――近代西洋的な概念によって無意識に自らを縛り苦しんでいる人たち――をも救うほどの示唆に富んでいます。
即興演奏は、社会や文化からどう影響を受けているか
演奏者の独創か、ベースになる理論があるのか
民族音楽学においてこれまで即興演奏は、音楽ジャンルを跨いだ大きな研究テーマとなってきました。それはこれまで大きく二つの傾向から構成されてきました。一つは、瞬間的に演奏に形を与えるという即興演奏に、いかに演奏者の個性が刻印されているのかという、演奏者自体のオリジナリティを対象とした研究です。
そしてもう一つの傾向は、いかに即興演奏といえども、演奏者は何もかも自由に演奏しているわけではなく、その文化ならではの理論にのっとって演奏を展開しているのだという立場から、その即興演奏のベースとなる理論の解明を試みようとする立場です。
個人の技能は社会集団からどう影響されるか
しかしこれらの研究において手薄であった視点があります。それは、当該の演奏者コミュニティの中で、即興演奏がいかに他者との相互作用の中で起きているのかという視点です。私の研究の学術的問いは、ある個人の技能やその発達段階は、その一個人が属する社会集団からどのような多層的影響を受けそのように存在しているのか、またその時間軸での変化はどのようなものなのか、というものです。
どのような個人もそれが属している社会的・文化的環境から無縁ではいることはできないという立場から、即興演奏に影響を与えうる様々な要因が集団のなかでどのように生起し、そしてそれらが即興演奏という瞬間の営みのなかでどのように考慮されているのかを明らかにすることが、研究の目的です。
◆サントゥール Santur Performance by Masato Tani with Saeid Jalalian(YouTube)
◆京都市立芸術大学 卒業生インタビュー 谷正人さん(京都市立芸術大学)
緊張をとる
伊藤丈恭(芸術新聞社)
アレクサンダー・テクニークを生みだした演劇分野の書籍には、演劇や人前でのパフォーマンスについてのみならず、「学ぶ・何かに向けて準備する・人に教える」ことについての示唆に富む記述が多く見られます。本書もその一つで、「(世間の)焦ったらアカンっていうくせに、プロセスを言わんとすぐに結果を求める間違った教え」(p.178)を批判し、代わりに2段階/3段階思考(p.260~270)の必要性などを説いています。姉妹版の『集中力のひみつ』もおすすめ。
ミュージック・アズ・ソーシャルライフ 歌い踊ることをめぐる政治
トマス・トゥリノ、訳:野澤豊一、西島千尋(水声社)
音楽を従来のように地域や(特定のサウンドの組み合わせとしての)ジャンルごとに分類するのではなく、音楽活動を「参与型」と「上演型」に、レコード音楽を「(ライヴパフォーマンスを何らかの意味で参照する)ハイファイ型」と「(生身の人間によるパフォーマンスを想定しない)スタジオアート型」とに分類しています。とりわけ「参与型」の指摘からは、本書も『ミュージッキング 音楽は“行為”である』と同様に、音楽における行為・活動・身体の復権を目指していると言えるでしょう。