最先端研究を訪ねて
【統計科学】
治療法の有効性
超高齢社会における持続可能な医療をめざして:データサイエンスからの挑戦
野間久史先生
総合研究大学院大学
複合科学研究科 統計科学専攻/統計数理研究所
◆研究のきっかけは何ですか
「少子高齢化」は、世界中の先進諸国において進む深刻な問題です。みなさんも、将来、社会に出たときに、「比較的少数の現役世代の人々が、社会全体の年金・医療・社会保障などの大きな負担を負うことになる」ことは、よくご存知かと思います。
その中でも、日本は、世界に先駆けて、WHOが定義する「超高齢社会」を迎えており、国の医療費も、すでに年間40兆円を超えています。社会において有限の医療費・医療資源を適切かつ効率的に使用しなくては、将来に向けて、持続可能な医療を実現することはできません。また、そのしわ寄せが、これからの時代を生きるみなさんやその子どもたちの世代に及ぶ可能性もあります。
この問題を解決するためのひとつの重要な課題に、「さまざまな疾患の治療において、現在、使用されている多くの医薬品・医療技術のいずれが、最も有効・安全で、経済的であるか」を明らかにするということがあります。
「そんなこと、わかっているんじゃないの?」と思うかもしれませんが、実は、医療現場で使われている医薬品などは、市販前に行われる臨床試験では、標準治療やプラセボ(偽薬)などと比較して、「効果がある」ことが示されているだけで、何種類もの治療法を厳密に比較することまではされていません。
なぜかというと、ほとんどの場合、それは現実的に不可能であるからです。通常、医薬品開発の臨床試験では、参加者1人あたりに数百万円の費用がかかるといわれますが、何種類もの治療法を、厳密に比較・評価する臨床試験を計画しようとすると、一般的に、数万人~数十万人以上の規模の参加者による大規模な試験を行わなくては、確かな結論が出せません。
それだけの規模の試験を行うためには、膨大な費用と時間、また、多くの参加者の方々の協力が必要となります。現実的にそのような試験を行うことは、非常に困難なのです。
一方で、治療法ごとにかかる費用は、大きく異なります。例えば、高血圧や糖尿病などのごくありふれた疾患でも、薬の価格は倍以上異なるものがあります。これも、「価格が高い治療法ほど、良い治療法だろう」と思うかもしれませんが、実は、必ずしもそうではありません。
そもそも、それを厳密に評価する臨床試験を行うことができない以上、優劣を比較するための確かな科学的エビデンスが存在しないものが多いのです。一方で、比較的少数ではありますが、その比較を行った臨床試験のエビデンスも公表されています。
それらの中には、驚くべきことに、高価な薬剤と安価な薬剤とを比べると、実際には、その治療効果には、それほど差がなかった、むしろ安価な薬剤のほうが有用であったという報告も多くあります。仮に、「より有効な治療である」と期待して広く使われていた薬剤よりも、より安価な薬剤のほうが、実は患者さんにとって有益な薬剤だったとしたら、いかがでしょうか。
それまで使われてきた多額の医療費は、いかにももったいないですし、効率的な医療費の配分を行うことで、より多くの人を救うことができたかもしれない、ということになるわけです。
それでは、実際の臨床試験を行う以外の方法で、その評価を行うことはできないのでしょうか。そこで新しく開発されたのが、ネットワークメタアナリシスという、高度な数理・データサイエンスの技術を使った研究手法です。
ネットワークメタアナリシスは、過去に行われた臨床試験から得られたエビデンスを統合することによって、エビデンスのネットワークを構築し、それをもとに、治療法間の比較と治療効果の精確な評価を行うことを可能とした手法です。この方法を使えば、高次の数理モデルとデータサイエンスの分析手法を用いることで、治療法間のエビデンスのネットワークから、複数の治療法の有効性・有用性を比較することができるようになります。
ネットワークメタアナリシスは、ちょうど私が、大学院生の頃に、欧米で開発された手法で、前述のような世界中で問題となっている社会の高齢化の問題から、急速に発展し、多くの疾患・治療法の比較分析に用いられるようになりました。
その成果は、医療技術評価・診療ガイドラインの作成、医療政策の策定などに広く用いられるようになり、すぐに、現代医学研究のスタンダードな方法のひとつとして、普及していきました。この新しい重要な研究手法について、我が国でも後れを取ってはいけない、そう思ったことが、私がこの研究に取り組み始めたきっかけです。
◆どんな成果が上がりましたか
国内外の先進的な研究機関と協同して、精神疾患・糖尿病・高血圧などのさまざまな治療薬・治療法について、ネットワークメタアナリシスを行い、有効性・有用性を系統的に比較したエビデンスを公表してきました。世界的にも高く評価された研究も多くあり、国際医学誌で最高レベルに引用された論文としてレイティングされた研究もあります。
また、これらの研究の科学的妥当性を担保するためには、その基礎となる高度なデータサイエンスの方法論が必須となります。私たちの研究グループは、先端的なデータサイエンスの技術を駆使して、ネットワークメタアナリシスの新しいデータ解析の方法を開発し、多くの研究成果を国際一流学術誌に発表してきました。
◆その研究が進むと何が良いでしょうか
現在、存在する医薬品やさまざまな治療法について、有効性・有用性の比較についての正確なエビデンスが得られれば、例えば、実臨床の現場で「目の前の患者さんに対して、たくさんある治療法の選択肢の中から、どの治療を行うことがベストなのか?」ということについて、科学的エビデンスに基づいた意思決定を行うことができます。
診療ガイドラインや医療政策の策定などにおいても、これらのエビデンスは有用です。さらに、経済性などの観点を加えた、高次の意思決定を行うこともできます。
これらの高度なデータサイエンスの技術を発展させることによって、正しい知見を確立し、より効率的な医療費の配分を行うことが可能となります。また、それによって、より多くの患者さんを救うことができます。より良い医療を、より多くの患者さんに、将来世代に渡って持続的に行うためには、このようなエビデンスが重要な役割を果たすのです。
私の大学院の研究室は、データサイエンスに関する専攻にあります。大学院生のみなさんには、さまざまな医学研究における先端的なデータサイエンスの方法論の研究に取り組んでもらっています。
テーマは、医薬品開発の臨床試験の方法論から、診断法・予測モデルの開発、最新のAI・機械学習の技術の応用まで、さまざまです。ネットワークメタアナリシスに関する研究に取り組んでいる学生も、もちろんいます。
つい2, 3年ほど前には、高血圧の治療薬の比較研究を事例として、ネットワークメタアナリシスから得られるエビデンスに大きな影響を及ぼす極端なプロファイルを持つ臨床試験を検出するための新しいデータ解析の方法を開発した学生がいました。その学生は、ヨーロッパで開催された国際学会で、研究成果の発表をしてきたのですが、若手コンペティションで、高い評価を得ることができ、ファイナリストにまで選ばれました。
◆主な業種
・薬剤・医薬品
◆主な職種
・設計・開発
◆学んだことはどう生きる?
ほとんどすべての製薬企業において、統計学・データサイエンスの部門は置かれており、大学・大学院で統計学を学んだ方々が、実務統計の専門家として活躍しています。官公庁での新薬を審査する機関や、大学・医療機関などでも、多くの統計家が活躍しています。
AIなどのテクノロジーの急速な発展によって、統計学やデータサイエンスなどを専門とする方々の活躍の場は、ますます拡がっていくものと予想されます。
2020年代を迎えた現在、科学技術の発展はめざましく、かつて想像できなかったようなテクノロジーが当たり前のように使われるようになりました。医療の分野でも、AIによる革新的な技術が急速に発展しており、Deep Learningなどによる画像診断技術が、人間の最高レベルの技術を持つ専門医と同等の精度で、がんや糖尿病性網膜症などの診断を行うことができるようになりました。
みなさんが大人になる頃には、おそらく、今では想像もできないような、さらに飛躍的な科学技術の進歩があり、社会も大きな変化を遂げているものと思われます。これからの新しい時代を生き抜いていくことは、けっして楽なことではないと思いますが、一方で、さまざまな魅力に溢れる新しい生き方が生まれる時代でもあると思います。高校・大学での学びを通して、みなさんにとってのより良い生き方を見つけてもらえればと思います。
現代統計学の高度な手法を駆使したデータ解析をするためには、専門的なソフトウェアによる計算とそのプログラミング技術が必要となりますが、その基礎となる「データを効果的にまとめて、説得力のあるエビデンスを生み出す」ということは、中学・高校レベルの数学の知識からもできるかと思います。インターネット上には、今回紹介した研究に関連する、たくさんのデータが公開されていますので、そのデータをまとめて、統計的なエビデンスを読み解き、いろいろな考察をしてみるとおもしろいかと思います。
・諸外国における社会の高齢化の状況を調べてみましょう。例えば、長らく「一人っ子政策」を行ってきた中国は、近い将来、現在の日本を超える規模での社会の高齢化が進むといわれています。米国や欧州諸国は、どうでしょうか?実際の統計を比較して、考察してみましょう。
・日本と諸外国の社会保障制度の違いを比較し、それに関連する統計を比較してみるのもおもしろいと思います。社会保障が充実しているといわれる欧州諸国と、日本とでは、どのような制度の違いがあり、それが、統計の数字にどのように表れているでしょうか?
ビジネスマンの父より息子への30通の手紙
キングスレイ・ウォード(新潮文庫)
著者は、製薬関係の企業経営に成功したビジネスマンです。もともとは、発表など考えもせずに息子に送った手紙だったそうなのですが、その内容の素晴らしさから公表に至り、ミリオンセラーにまでなった書籍だそうです。
息子が、学生の頃から、社会人になり、会社の経営を引き継ぐまで、そのときどきの年齢や立場・状況に応じて、自身の人生経験からの助言や教訓がまとめられています。30年以上に渡って読み継がれている名著だけあって、多くの金言が散りばめられています。
レバレッジ・リーディング
本田直之(東洋経済新報社)
大学院生の頃に、先輩に勧められて読んだ本です。著者は、「読書こそ最強の投資」というユニークな発想から、ビジネス書の「多読」を勧めています。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」といいますが、ビジネス書には、世界的な経営者や、さまざまなビジネスで成功した人たちが、何十年もかけて培った試行錯誤に基づくノウハウが詰め込まれており、そこから学ぶことは、安価で大きなリターンが期待できる投資だと述べられています。本書で、著者が提案している読書法は、いろいろなところで役に立つかもしれません。